主婦が自己肯定感を高めて返り咲くキッカケ作り。

「嫌われる勇気」その5:誰ひとりとして悪を欲する人はいない

「不幸」になりたくて選択した結果

この記事は岸見一郎氏/古賀史健氏の著書「嫌われる勇気」について主婦目線で読み解くものです。

—最初からお読み頂くと内容がよりわかりやすいと思います
>はじめに —>その1 —>その2
>その3 —>その4

前回の記事で「目的論」がどういう思考かだんだんと見えてきました。無理してポジティブにならなくても、シンプルに考えればいいのだということも分かってきました。それでもまだ具体性が見えないために青年は哲人に反論し続けます。

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善と悪

前回「その4」で哲人が説いた、

再びアドラーの言葉を引用しましょう。彼はいいます。「大切なのはなにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである」と。

この言葉をそのまま解釈すると、他人の境遇や気質を「あの人いいなぁ」と思ってしまうのは”人にあって自分にないもの”に注目してしまうから。大切なのは自分に与えられているもの(環境や性格)をどう活用するかということ。

すぐに青年は反論しました。

生まれた時から「裕福VS貧乏」「優しい両親VS意地悪な両親」こういう格差があるのは事実。これは本人には避けられないことで、世の中は決して平等ではない。他人を羨むのも自分にないものだからこそ、気になるし欲しいと思うのではないのか?哲人の話は机上の学説ばかりで現実味がない。

かなりいいとこを突いたでしょう?まさに目的論は理想論でしかない!と言っています。
それでも哲人は穏やかに言います。

「なにが与えられているか」に執着して、現実が変わりますか?どれだけ人と比較しても羨んでも「現実」は変わりません。過去の事実も変わりません。他人と人生を交換することもできません。私たちに必要なのは「交換」ではなくて「更新」です。生まれながらにして「不幸」なんてありません。いま現在「不幸」だと思うなら、それはあなたが自ら「不幸」を選んだからです。

青年が自分のことを嫌いだと思う性格になったのは、青年自身が今までいろんな出来事があるたびに「自分を嫌いになる」という選択をしてきたからだというのです。
もしもあなたが「私は他の人より不幸な過去を持っている」「私は人に言えない傷を抱えている」その事実に縛られて、いま現在、思うように生きられず苦しんでいるとしたら。あなたが自分で苦しむように今までひとつずつ選択してきたというのです。

納得できますか?「自分で苦しむように選択してきた覚えはない!」と憤慨しませんか?「私のせいじゃない!」と思うことたくさんありませんか?

哲人はゆっくりと説いてくれます。

古代ギリシャから存在し、のちにソクラテスのパラドクスとして知られる命題に「誰ひとりとして悪を欲する人はいない」という言葉があります。
パラドクスとは「言ってることは正しいけど結果は正しくない」とか「妥当に思える推論だが受け入れがたい結論」という、矛盾したことを指す言葉です。

「誰ひとりとして悪を欲する人はいない」
ここでいう”悪”とは道徳的な”悪いコト”という意味ではありません。「自分のためにならない」ことを”悪”といいます。逆に”善”とは「自分のためになる」ことを指します。
人を殺傷した犯罪者にどんな動機があったにしても、犯罪者は自分にとって「しかるべき(自分のために)理由」があってする”善の行為”だと説明できます。
人は常に「自分のためになる」ことを選択しています。あえて「自分のためにならない」ことは選択しません。

ここでやっと主婦らしい見解を述べるチャンスがやってきました。

子どもが嘘をつくことって多々ありますよね。それも明らかにバレる嘘を。
嘘をつくことは”悪いコト”だけど、なぜ嘘をついたのか追求してみると良く分かります。子どもは自分の保身のために嘘をつくことが多いですよね。
「本当のことを言うとママに叱られる」から嘘ついて事実をごまかす。叱られたくないから一生懸命に頭を働かせて嘘をつきます。演技派の子は嘘泣きも得意だったりします。
咄嗟に嘘が出ちゃうのは「自分にとってためになる」ように「自分が傷つかないように」悪いコトだけど”嘘を選択”しているんですね。それは自分で自分を守る”善”の行為なのです。

じゃあ、ママのあなた。いや、私も。日常的に嘘ついてることないですか?

あんまり気の合わないママ友と表面上は仲良くしている・・・嘘。自分だけ仲間外れにされるのが嫌だから?
あなたのために言ってるの!と子どもを説き伏せる・・・嘘。本当は服従させて子どもを型にはめたいだけじゃない?
毎日忙しくてできない!・・・嘘。本当はやる気もないし面倒なだけじゃない?

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同じように過去の「不幸」な出来事のせいで、いま現在も「不幸」だと思っているのは、自分にとっての”善”の行為をしたきた結果なんだと哲人はいうのです。自分で「不幸な自分」を選択してきたと。なぜ「不幸な自分」を選択したのかは千差万別。人によって選択肢は変わるし「不幸な自分」を選択する意味も変わってきます。

青年はとうとう立ち上がって真っ赤になって抗議します。

この不幸な生は自発的に選んだものだと?それが私にとっては「善」だったと?なぜこんなに愚弄されなきゃいけないのだ!わたしが哲人に何か悪いことでもしたというのか!

哲人は「まぁまぁ落ち着いて。そんなに結論を急がなくても大丈夫」といいます。なぜ青年が「不幸な自分」を選択してきたのかは、この対話の中で明らかになっていくと断言します。ゆっくりとアドラー心理学を理解することで、見たくなかった自分本来の姿も受け入れられるようになるのですね。

私はここがこの本の特徴だなぁと感じました。
世の中に出回る心理本や自己啓発本をいくら読みあさっても、ただ字を追いかけて書かれていることの意味を考えるくらいでは「理解できた」とは言えないと思うんです。書いてあった内容には感動しても実生活で活かされないということは、読者(第三者)に徹底している気持ちがあるからではないでしょうか?映画を観ているような?どこかで「他人事」だと捉えて読んでいるのだと思います。
主人公を自分に重ね合わせて、自分ならこんなときどうするか。哲人の意見にどう論破しようとするか。そう考えて読むとどんどん本の中に引き込まれます。本の中で裸になって本音をぶつけることで、本当の答えを「自分で」見つけることができるのだと思います。本書「嫌われる勇気」は対話形式で書かれているので、どうしても著者本位になっちゃう他の本と違って感情移入しやすいのでしょうね。

だからこそアドラーは、著書で残すより人との対話でその人自身が「答え」を見つけられるように助言していったのだと思います。

青年の怒りは哲人のどんな言葉で収まるのでしょうか?次回の記事もお楽しみに。

ユーミ
対話形式で書かれているので、話の真意をまとめる作業にとても時間がかかります。全文を掲載することは著作権に引っかかりますからね。

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「嫌われる勇気」その5:誰ひとりとして悪を欲する人はいない by ユーミ

【嫌われる勇気】

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