主婦が自己肯定感を高めて返り咲くキッカケ作り。

「嫌われる勇気」その31:人生が計画通りに行かない人に試してほしい究極の変換

人生とは連続する刹那

この記事は岸見一郎氏/古賀史健氏の著書「嫌われる勇気」について主婦目線で読み解くものです。

—最初からお読み頂くと内容がよりわかりやすいと思います
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前回の記事で、哲人は「普通であることの勇気」を諭しました。無理して頑張ることなく”普通の自分”をそのまま受け入れることが大切だと言いました。青年はもちろん黙っていません。

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怠惰な自分を受け入れる?

哲人は「特別になろうとしなくてもいい。普通でいい。」と言います。それに対して青年は反論しました。

「普通」を受け入れることは、怠惰な自分を肯定することにつながるのですよ!しょせん自分はここまでだ、これでいいのだ、と。わたしはそうした怠惰なる生のあり方を否定しているのです!
中略
ソクラテスやプラトンは「普通」を受け入れたと思いますか?そんなはずはない!なにか大きな理想や目標を掲げて生きていたはずでしょう!

「特別になろう」と頑張らなくていいということは、プロスポーツ選手になりたい!歌手になりたい!社長になりたい!などの夢や目標に向かって努力すること自体を否定することになります。
「頑張らなくていいんだよ。そのままのあなたでいいんだよ。」って言葉を受け入れてしまうと、今以上に「良くありたい」「理想に近づきたい」という気持ちを萎えさせてしまうと青年は言っているのです。誰も夢や目標を持たない世の中の何が「幸せ」なのか!って反論しているんですね。

そこで、哲人は違う観点で話をしてくれました。

 

人生は山登り

人生は”山登り”にたとえられることが多いです。「人生とは登山である」「人生、山あり谷あり」など名言や格言も多くあります。

人生は山登りのように楽じゃないけど1歩ずつ確実に進めば必ず頂上にたどり着ける。って意味が多いです。

そんな「人生は山登り」的な発想をガラガラと崩してしまうのがアドラー心理学。
私も最初読んだときは「へ?何?ここも覆すの?」って、同じ文章を二度読みしてしまいました。

 

青年はまさに山頂をめざして頑張りたい!変わりたい!と思っている真っ最中。

それなのに哲人は刺さる言葉を吐きます。

もしも人生が山頂にたどり着くための登山だとしたら、人生の大半は「途上」になってしまいます。つまり、山を踏破したところから「ほんとうの人生」がはじまるのであって、そこに至るまでの道のりは「仮のわたし」による「仮の人生」なのだと。

夢や目標に向かって頑張っている多くの人は、いま現在の自分を「完成形」だと思っていません。「まだ先がある」「まだやれる」「ここで終わってたまるか」そう思って日々努力しているのだと思います。

では、仮にあなたが山頂にたどり着けなかったとしたら、あなたの生はどうなるのでしょう?事故や病気でたどり着けないこともありますし、登山そのものが失敗に終わる可能性も十分にありえます。

いわゆる「挫折」ってやつです。
どうしても超えられない障壁によって、夢や目標を断念する人はたくさんいます。挫折することで人生を諦めてしまう人だっています。
また、志半ばで命尽きる人もいます。東日本大震災で亡くなったたくさんの方々にも、数えきれないほどの夢や目標があったことでしょう。予期せぬ出来事で突然「登山」を中止せざるを得ないことだってあるのです。

逆に人は山頂にたどりついてしまったらどうなるんでしょう?
燃え尽き症候群や、定年退職後のウツ病発症者が増えているのは、登頂するために多大なエネルギーをかけてきた証拠なんじゃないでしょうか。
せっかく「これから本当の人生」がはじまるというのに、気力も体力もそして命の残り時間も短くなっているのが「人生は山登り」の特徴じゃないでしょうか。

 

アドラー心理学では、人生を山登りにたとえません。
人生を山登りにたとえることは、人生を「線」でとらえていると哲人はいいます。

この世に生を受けた瞬間からはじまった線が、大小さまざまなカーヴを描きながら頂点に達し、やがて死という終点を迎えるのだと。

こんなふうに、人生を線のようにひとつの物語風にとらえるのは、フロイト的な原因論につながります。

  • 幼い頃のあの出来事が大人になって影響している
  • あの人と出逢ったから私の人生はこうなった
  • スタートの環境が悪かったから達成することが難しい

「〇〇(原因)だから△△(結果)なんだ」って考えるのが原因論です。もうすでに「結果」が決まっている「運命」をたどる人生です。未来を自分で変えることができない発想です。

アドラー心理学は「目的論」でした。
ここの食い違いが、アドラーとフロイトを決別させた大きな理由だったのでしょう。

じゃあアドラーは人生を「線」ではなく何で表現するのでしょうか?

 

点の連続

アドラーがいう人生とは、細かい細かい「点の連続」だといいます。いまその一瞬の連続なんだと。

すなわち人生とは、連続する刹那なのです。

いまその瞬間にしか生きられない私たち。
次の瞬間に何が起こるか誰も予想はできません。

人生を線でたとえるなら、人生設計やキャリア設計も可能です。計画を立ててその通りに進むことができるなら。
だけど、未来のことは誰もわからないのです。

  • 今月末に夫の会社が倒産するかもしれない
  • 明日交通事故に遭うかもしれない
  • 3分後に大地震が来るかもしれない

アドラー心理学でいう人生とは「連続する刹那」であって、そこに人生設計やキャリア設計を立てるのは不可能なことなんです。

それを知らない大人たちは、若者に「線」の人生を押しつけようとします。いい大学、大きな企業、安定した家庭、そんなレールに乗ることが幸福な人生なのだと。
中略
計画的な人生など、それが必要か不必要かという以前に、不可能なのです。

 

もう少し分かりやすく、A君を例にしてみます。

A君は小学校の頃から成績優秀で学校トップでした。将来の夢は弁護士になること。両親もA君に期待して勉強を頑張らせます。
進学高校に入り難関大学法学部に合格したA君は両親の誇りでした。
しかしA君。大学の友達と行ったお笑いシアターにはまってしまいました。それまでは勉強ばかりでテレビもほとんど見たことがなかったせいか、初めて見る世界に魅了されてしまいます。
それでも法学部での成績は良く、司法試験にも見事合格しました。
晴れて弁護士になれる!ってときに、A君は「好きな芸人の付き人になる」と両親に言い出しました。
難関大学法学部を卒業したA君。いまは芸人さんのマネージャーをして「いつか自分も芸人になりたい」と夢見ています。

小学校時代、A君も両親も「将来は芸人になる」なんて夢にも思わなかったでしょう。
人生を「線」でとらえると、将来弁護士になりたかったA君の人生は失敗に終わっています。特に両親からすれば残念感はんぱないでしょうね。

弁護士という山頂に向かって日々勉強を頑張ってきたのに、どこでどう間違ったのか全く違う方向へ進んでしまっています。
両親は「大学時代の友達のせいだ」って思うかもしれません。
または「小さい頃から勉強ばかりさせて息抜きをさせなかったからだ」と反省するかもしれません。
またまた「いや、今度は芸人という夢に向かって頑張ればいいんだ」って思い直すかもしれません。

A君はいつになったら山頂にたどり着けるんでしょうか。

 

今度は人生を「点」でとらえてみます。

学校トップだった小学校時代から中学・高校・大学と、ただ「弁護士になる」ことだけを考えて勉強していたのでしょうか?
学校の課題、授業の復習、定期テストの予習など、そのときその瞬間に出来る限りの勉強をしてきたから、難関大学法学部に合格することができたのです。
遊びたい気持ちをコントロールしながらそのときにできることを精一杯やった結果、大学も司法試験も合格できたんですね。

大学在学中に夢中になったお笑いの世界も同じです。はじめて見た世界に感動し、時間の許す限りお笑いの世界に気持ちを傾けたから、「自分も芸人になりたい」と思えるようにまでなったのです。

そのときその瞬間を一生懸命に生きることで、気が付くと「こんなところまで来ていたのか」という結果になるんです。その結果は思い描いていた夢や目標とかけ離れた世界かもしれません。それでも自分にとってエネルギーを傾けてきた先にあるので、居心地はいいはずですよね。
これって幸せなことだと思いませんか?

 

哲人は人生をこんなふうに表現しています。

人生とは、いまこの瞬間をくるくるとダンスするように生きる、連続する刹那なのです。

 

いま何を思い、何を欲し、何をするか。
いま感じることを素直に精一杯できること。
先のことはわからないから深く考えなくても大丈夫。
いま自分にやれることをやるだけ。

こうやって「点」で考えると、自分の人生はどこで切れてしまっても「途上」ではないし、「やり残した」って思うこともないのです。

 

ユーミ
いまこの瞬間に「貢献感の得られること」を実行できるといいのですね。それを継続できると気がつけば「あぁ、なんて幸せ」って思える人生になるんですね。

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「嫌われる勇気」その31:人生が計画通りに行かない人に試してほしい究極の変換 by ユーミ

【嫌われる勇気】

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