主婦が自己肯定感を高めて返り咲くキッカケ作り。

「嫌われる勇気」その30:”特別な存在”になりたい人に必要な勇気

普通であることの勇気

この記事は岸見一郎氏/古賀史健氏の著書「嫌われる勇気」について主婦目線で読み解くものです。

—最初からお読み頂くと内容がよりわかりやすいと思います
>「嫌われる勇気」レポート一覧

前回の記事で、「人にとっての幸福」とは何かの答えが明らかになりました。解釈のしかたで「誰でも幸せになれる」という哲人の持論も分かりました。”見返り”を期待しないで他者に貢献するということは、難しいことでしょうか?「なかなか出来ることじゃない」って思ってしまう裏には、人間特有の心理がありました。

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特別な存在

私が家族に対して「感謝の言葉」も「労いの言葉」も特に期待することなく貢献できるのは、私が夫にとっての「かけがえのない妻」であり、子どもにとっては「唯一無二の存在である母だから」ってとこが大きいです。

職場でいうと、「頼りにされている」「仕事を評価されている」「仲間だと思ってもらっている」そんな上司や同僚や後輩に対しても、誰かが困っていたら助け舟を出したり、いつもより少し残業して仕事を片付けたり、ナイスなタイミングでみんなにお茶を淹れてみたり。そんな貢献は思うほど難しくありません。

人は他者にとって「特別な存在」であると認識していると、貢献する気持ちも自然と大きく膨らみます。好きな人にはどんなことでもしてあげたい!って思いますもんね。
”相手からの見返り”を期待しなくても「私がやりたい」と思うからできることは、「特別な存在」が前提だと簡単です。

それが、本当に赤の他人に対してはどうでしょう?

私にとって血縁も利害も関係のない「特に何も影響しない人」に対して、家族に対する気持ちと同じモチベーションで貢献できるか?っていうと、正直すぐに「YES」とは言えないと思います。

逆に私にとって都合の悪い人(私の悪口を言うひと、私を嫌いだと思う人)に貢献できるか?っていうと、「NO」と言いたくなりますよね。

もちろん、アドラーの「共同体感覚」でいうなら、赤の他人も私を嫌う人も、私とどこかでつながる「共同体」であるはずです。
そこは理解できていても「誰にでも同じように貢献できるか?」って聞かれると、自分はそこまで器量がない気がしてきます。

 

「特別な存在」をもう少し掘り下げると。

私たちは生まれたときから「優越性の追求」という、向上したい!もっと理想に近づきたい!と願う欲求を持っています。(優越性の追求については「嫌われる勇気」:その10に詳しく書いています)

子ども時代に勉強やスポーツや芸術などで、「もっと上達したい」と思って頑張ってきた人は多いと思います。大人になっても「営業トップになりたい」「資格を取りたい」「社長になりたい」など、目標を掲げて頑張る人はたくさんいます。

そんな優越性の追求を「自分の向上のために」と思えている人と、「特別な存在になりたいから」と思っている人とでは、あとから差が生じてきます。

”特別な存在になりたいから何かを頑張る人”って、意外と多いのです。もしかしたら自分もそうかも。

私たちはどんなときも他者に囲まれて生きています。
周りにうじゃうじゃいる他者の中で「あ、この人スゴイ」「あ、この人キレイ」「あ、この人頭いい」「あ、この人優しい」「あ、この人頼れる」「あ、この人好きかも」こんな風に注目される「特別な存在」になりたいと思う人は意外と多いのです。

10000人の中で自分1人だけ突出したい!って規模じゃなくても、目の前にいる誰か1人より自分の方が何かで優位に立ちたい!っていう小規模な願望もこれに当てはまります。

 

でもね。特別な存在になりたくて頑張ってみたけど上手くいかないことも多いのが世の常。

特別になれなかった人の中には、逆路線で注目をあびて「特別な存在」になろうとする人がいます。問題行動を起こす子ども、引きこもりや不登校、無差別犯罪を犯す人など、健全な努力をしないまま他者の注目をあびようとする人もいるのです。

特別な存在になりたい人っていうのは、数えきれないほどの他者の中で「私はこれが特別なのよ、みんなとは違うのよ」という感情がなかったら「自分の存在意義」を認められない人なのです。

なぜ「特別」になる必要があるのか?それは「普通の自分」が受け入れられないからでしょう。だからこそ、「特別によくある」ことがくじかれたとき、「特別に悪くある」ことへと極端な飛躍をしてしまうのです。

普通であること

「特別」の反対が「普通」だとしても、「普通」が悪いわけじゃありません。誰かや何かと比べて劣っているわけではないのです。

哲人は「普通であること」が自己受容の重要な1歩だといいます。

普通を拒絶するあなたは、おそらく「普通であること」を「無能であること」と同義でとらえているのでしょう。

夫が私のことを「かけがえのない妻」だと思っていなくても、子どもがたとえ「唯一無二の存在の母」だと思っていなくても、または他者が「頼れる部下」「優しい友達」だと思っていなくても、それが「私は無能」「私は無意味」なわけではないってことです。

私は家族にとってどんな存在であっても、職場でどんな立場であっても、友達が多くても少なくても、他者から見た私は「ただ普通の人」であっても、私が「他者貢献」するのに関係のないことなんです。

 

自己満足でいい

結局のところ、他者からの見返りを期待せずに、特別になろうともせずに他者貢献するってことは、

私がしたいからする。

これでいいってことですね。この気持ちに嘘がなければ、相手が家族や上司や友達じゃなくても同じテンションで他者貢献ができそうです。

  • こうしたら家族が喜ぶかなぁ
  • こうしたら親孝行になるかなぁ
  • こうしたら会社のためになるかなぁ
  • こうしたら働きやすい環境になるかなぁ
  • こうしたら友達の悩みが減るかなぁ
  • こうしたら生活便利になるかなぁ
  • こうしたら世の中がもっと平和になるかなぁ
  • こうしたらみんなが幸せに感じられるかなぁ

自分が勝手に他者のことを思ってやること。それが小さなことでも大きなことでも、行動に起こすことが他者貢献につながっていくのですね。

自分が勝手にする他者貢献なんて、ありがた迷惑に思われる?目立ちたがり屋だと思われる?
そんなことは他者の課題なので気にしなくて大丈夫です。他者の課題に振り回されて、他者貢献ができなくなるほうがもったいない。

他者のためになんて面倒くさい?見返りがないならやる気が起こらない?
「他者貢献」って言ってるけど、そこに他者の評価は求めていないのです。自分がしたいことをやってるだけ。自己満足の結果、誰かのお役に立てているだけなのです。

 

もう一度、アドラーの言葉を贈ります。

誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。わたしの助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。

 

ユーミ
私がしたいからする。それだったら得意です。自己満足の結果に他者貢献があれば本当に幸せなことですね。

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「嫌われる勇気」その30:”特別な存在”になりたい人に必要な勇気 by ユーミ

【嫌われる勇気】

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