主婦が自己肯定感を高めて返り咲くキッカケ作り。

「嫌われる勇気」その29:人にとって幸福とは何か?の答えあわせ

幸福とは

この記事は岸見一郎氏/古賀史健氏の著書「嫌われる勇気」について主婦目線で読み解くものです。

—最初からお読み頂くと内容がよりわかりやすいと思います
>「嫌われる勇気」レポート一覧

前回の記事で、ネガティブな口癖やワーカーホリックなどで「人生の目標」を遠ざけていることが分かりました。自分が他者に何を与えられるかと考えるとき、「行為レベル」ではなく「存在レベル」で関わることが大切でした。ようやく「人にとっての幸福」とは何か?の答えが見えてきます。

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幸福=良好な対人関係?

もともと青年は、哲人のアドラー心理学に基づいた持論を撤回させるためにやってきました。「嫌われる勇気」:その1の冒頭に書いた哲人の思想とは次のようなことでした。

  • 世界はどこまでもシンプルである
  • 人は変われる
  • 誰もが幸せになれる

哲人との対話で「世界はシンプルだ」ということや「人は変われる」ということは少しずつ理解できた青年でしたが、だからといって「誰もが幸せになれる」っていうのにはちょっと疑問を感じています。

アドラーが「すべての悩みは対人関係にある」というなら、対人関係の悩みから解放されれば「幸福だ」と感じることができるということです。青年はここに引っかかりを感じます。

人間にとっての幸福とは、たかだか「良好な対人関係」にあるのでしょうか?つまりわれわれの生とは、そんなちっぽけな安息や喜びのために存在しているのでしょうか?

哲人もかつて哲学を勉強していた頃「幸福とは何か?」の答えを探し求めていたそうです。「人はどんなことに幸せだと思うのか?」って。
だけど、哲人はアドラー心理学に出逢ってから「自分がどうやって幸福になるか?」ってことを今まで深く考えて来なかったと気付きます。

要は、「人は何を幸せだと思うか?」って第三者的な見方じゃなくて、「自分が幸せだと思うのは何か?」に注目することをアドラーが教えてくれたってことですね。

 

貢献感がほしい

「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」が理解できると、「ありのままの自分で他者を信頼し貢献できること」が自らの価値を実感させてくれることにつながります。

この「他者に貢献できること」とは、目に見えて(相手も気づくこと)でなくてもいいのです。そもそも、私が貢献できたと思うことを、他者がどう受け取ったかは他者の課題です。私がどうこうできるもんではないのです。

私自身が「あぁ、私また誰かのお役に立てたわ」って感じられること(貢献感)が大切なんです。
こういう「貢献感」を他者の評価に関係なく、私が勝手に感じられたらそれでいいと哲人はいいます。

それなのに。
人は貢献感がほしいからこそ、他者に認めてもらおうとする「承認欲求」を持つ
のだそうです。

まあね。「ありがとう」とか「君のおかげだ」とか言われた方が貢献度が高いような気がします。

認めてほしいから、無理をしてでも他者に気に入ってもらえるように働きかけたりするんですよね。まさに人生の嘘をつき通してでも。それくらい、人は「貢献感がほしい」と願っているものなんですね。

他者の評価によって踊らされている状態では、「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」のバランスは崩れてしまいます。その結果、貢献感も得られなくて悪循環に陥るわけです。

たとえ目に見える貢献でなくとも、「私は誰かの役に立っている」という主観的な感覚を、すなわち「貢献感」を持てれば、それでいいのです。

icon-arrow-circle-right 私は毎日家族のためにごはんを作る。
icon-arrow-circle-right 私の作った料理を、毎日家族は黙って食べる。
icon-arrow-circle-right 家族が美味しいと思ってくれるかどうかは関係ない。
icon-arrow-circle-right ただ「私は家族に貢献できた」と感じる。そう、勝手に。

ここで「ねぇ、今日のおかず美味しい?」「何か感想言ってみて!」ってしつこく聞いたり、「せっかく作ったのに美味しいって言ってくれない」「誰も感謝しないなら作る気がしない」とか思うことは、自分が行なっている貢献に対して「他者に認めさせよう」って気持ちがある証拠なんですね。

そうじゃなくて、自分が「家族のために」栄養のバランスを考えた献立を組んだり、好物を入れてみたり。たとえ誰に褒めてもらえなくても、気づいてもらえなくても「家族のために」自分が貢献したいと思ってすること。これだけでいいってことです。

家族側から見れば「美味しかった!」って一言いうだけで、母の貢献感がさらに倍増する「魔法の言葉」になるわけです。

そう考えると、家族以外にも「自分から誰かのために」と思って貢献できることはたくさんあります。

  • 道端のゴミを拾う
  • バスで席を譲る
  • 他の車に道を譲る
  • 仕事の時間外に掃除する
  • 買い物のレジで客サイドの自分からも「ありがとう」っていう

誰も褒めてくれないかもしれないし、気づいてくれないかもしれない。それでも自分が誰かの役に立ってるって実感できることが、自分の価値を実感することになるのです。だから他者をもっと信頼できて、もっともっと貢献できるようになるわけです。

そうです。

幸福とは貢献感だったのです。

 

存在するだけで幸福なのか?

青年は「幸福とは貢献感」なんて単純な定義を認めない!と反対します。

前回の記事にも出てきたように、哲人は「行為レベル」の実感がなくても、ただそこに居るだけの「存在レベル」でも人の役に立てると言っていました。ってことは、「すべての人間は幸福だ」ということになるわけです。そんなことはない!と青年は言いたいのですね。

哲人は、人は誰でも幸せになれる。だけど、すべての人が幸福だと感じているわけではない。といいます。

先ほどの”家族にごはんを作る私”を例にあげると。

icon-arrow-circle-right 毎日ごはんを作っているのに感謝されない
icon-arrow-circle-right 給料ももらえないのに家事をしなきゃいけない私は損してる

こんな風に解釈していると、ごはんを作ることに「幸福」は感じられません。

icon-arrow-circle-right 家族の健康は私が守る
icon-arrow-circle-right 子どもの好き嫌いを減らしたいからメニューを工夫して克服させたい
icon-arrow-circle-right 私の味付けが「おふくろの味」になる

こうやって「私がしたいから」「家族のためにしたいから」と思えると、ごはん作りは「私の幸福」だと感じられますよね。

私がごはん作りを幸せだと感じることに、承認欲求(誰かに認めてもらうこと)は必要ないわけです。

 

ユーミ
料理が得意じゃない私ですが、季節ごとのイベントにちなんだメニューを考えたり、試験や試合の前日は”カツ”にしたり、自己満足ながら楽しんでいることに気づきました。

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「嫌われる勇気」その29:人にとって幸福とは何か?の答えあわせ by ユーミ

【嫌われる勇気】

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