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「嫌われる勇気」その28:あの言葉が口癖の人は調和を乱す張本人だった

人生の調和

この記事は岸見一郎氏/古賀史健氏の著書「嫌われる勇気」について主婦目線で読み解くものです。

—最初からお読み頂くと内容がよりわかりやすいと思います
>「嫌われる勇気」レポート一覧

前回の記事で、アドラーが提唱する「人生の目標」が「共同体感覚」なのだと分かりました。アドラー心理学や共同体感覚を、きちんと理解し自分のモノにするには長い年月がかかるということも分かりました。だけど「自分は変わるんだ!」と決心して、哲人が教えてくれた思考をはじめることは今すぐにできます。「やるか」「やらないか」それは自分の課題なんですね。

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こんな口癖は注意

前回の記事にも書きましたが、ぜひ忘れないで頂きたいのでまた書きます。
アドラーが「人生の目標」として提言したことです。

【行動面の目標】
1、自立すること
2、社会と調和して暮らせること

【この行動を支える心理面の目標】
1、わたしには能力がある、という意識
2、人々はわたしの仲間である、という意識

今回は、意外とよく言っちゃう口癖が「人生の目標」を自ら遠ざけている例を挙げたいと思います。

 

 icon-check-square-o 「みんな」

子どもがよく物をねだるときに「みんな持ってるから私も欲しい」って言いますよね。ゲーム機やスマホなどがいい例ですよね。

大人になっても使う人はいます。
何かで失敗をしたとき、「みんなが私をバカにしてる」「みんな内心では笑ってる」または、何かで仲間外れ状態になったとき、「みんなが私を嫌ってる」「みんな私の敵だ」なんて思っちゃう人いませんか?

何人中の何人が「みんな」になるんでしょうね?

 

  「いつも」

ネガティブな人がよく言う口癖で、上手くいかないことが続くと「いつも私だけ損をする」「いつも私は運が悪い」って思うこと多くないですか?

息子の中学校で、2年続けてクジびきでPTA役員に選ばれ、更に2年続けてクジびきで選ばれた部の長になったことがありました。人前に出ることが嫌だったあの頃の私は「なんて運が悪いんだろう」としか思えなかった。幼い頃から、負けちゃいけない場面で「私はいつも負ける」って思ってました。

 

  「すべて」

どこか数か所だけの不具合なのに「すべて悪い!」って他者を評価したことありませんか?気に入らないのは1か所だけなのに、対象のモノの「全部が嫌い!」って思っちゃうことありませんか?

今から6年前に家を新築しました。もちろん家を建てるのははじめての経験です。不動産屋の担当者も社長も、施工会社の現場監督も大工さんも、きっと普通に仕事をしてただけ。だけど出来上がった我が家には、「不具合」「人的ミス」「手落ち」「配慮不足」が何か所もありました。どうしてここを間違えるの?今まで何軒の家を建ててきたの?って怒りを通り越して悲しくなるような結果に。今でも私の中では、その不動産屋や施工会社の評価は低いままです。

 

「みんな」「いつも」「すべて」は、それぞれ抽象的で決まった定数をクリアしているわけではありません。

「みんな敵だ」本当に自分以外のすべての人が敵なの?ひとりひとりに聞いてみた?
「いつも運が悪い」本当に毎回同じ結果になる?じゃ、次回の結果も見えている?
「すべてが嫌い」良いところもあるのに知らないだけじゃない?見ようとしていないだけじゃない?

人は自分にとって不都合なことをする人のことを、誇大評価しがちです。そこを強調して他者に「同意や同情をしてもらいたい」とどこかで思っているからでしょうね。だから「みんな」「いつも」「すべて」って言葉が簡単に出ちゃうんです。

全体のうちの一部(自分にとって嫌なこと)だけに注目して、そこだけを強調することは「人生の調和を欠いている」と哲人がいいます。

たくさんの人がいれば、たくさんの人格や気質や思考があるってことです。自分と同じ人はいません。他者とは違っていて当然なのですから。

そのたくさんの中の一部の人が、自分とは極端に違った発想や思考でもいいのです。そこに注目して落胆する必要もないのです。今までの記事で何度も出てきましたよね。課題の分離をしなきゃいけないんです。

どうでもいいはずのごく一部にだけ焦点を当てて、そこから世界全体を評価しようとしている。それは人生の調和を欠いた、誤ったライフスタイルなのです。

「みんな私を嫌っている。いつも私ばかり損する。世の中のすべてが悪い。」これが「だから人生はつまらない。」と結びつかせることは間違っているんですね。

自分にとって不都合なことは、「みんな」じゃない。「いつも」じゃない。「すべて」じゃない。

 

ワーカーホリック

ワーカーホリックとは、生活のほとんどを仕事に費やし、家庭や趣味や交友などに時間を割くことができない状態のことです。

仕事が忙しくて、家族と食事ができない。子どもと遊ぶ時間がない。夫婦の会話がない。休日は寝てばかり。学校行事なんて行ったことない。

こんなパパ、世の中にはたくさんいますよね。

仕事をするパパは格好いいです。「家族のために」働くパパは尊敬すべき。子どもはきっとパパの背中を見て理解しています。

???本当にそうでしょうか???

哲人は、ワーカーホリックになる人は「人生の嘘」をついていると指摘します。

仕事を口実に、他の責任を回避しようとしているにすぎません。

社会人になって愛する女性と結婚をし家庭を持ったなら、夫にも「家事」「子育て」「地域活動」などに関心を寄せなければいけないのです。夫にも「人生のタスク」はあるのです。そこを回避していてはいけないんですね。

ここで、青年は自分の父親の話をしました。

わたしの父が、まさにそんな人でした。ワーカーホリックになって、ただただ仕事に打ち込んで成果を出す。そして、自分が稼いでいることを理由に家族を支配する。非常に封建的な人でした。

哲人はこれを、人生の特定の側面だけしか見れていないことになり、ある意味で人生のタスクから目を背けた生き方だといいます。

 

そもそも「仕事」とは会社に行くことだけじゃありませんよね。家事も子育ても地域への貢献も立派な「仕事」です。いろんな「仕事」が存在するのです。

会社に行って仕事をしている夫だけが「偉い」「尊敬される」ような、スゴイわけではないのです。ましてや、「誰のおかげで食べられると思ってるんだ!」なんて威圧するのは、もはや言葉の暴力でしかありません。だけど、夫がこれを言っちゃうと家族は何も反論できません。

おそらく、そうした父親は「行為のレベル」でしか、自分の価値を認めることができていないのでしょう

人は誰しも「そこに存在するだけで」価値があるのです。

 

存在のレベル

「俺が家族を養っているんだ!」って偉そうにしている人も、いずれ歳を取って体が思うように動かず「働けなく」なる時がやってきます。そして今まで下に見ていた家族(妻や子ども)に介護してもらう日が来るのです。

「行為のレベル」で物事を見ることは、「これだけのことをしているんだから私はすごいんだ!」「これだけやれば誰も文句言わないだろう!」って他者を制圧していることにもなります。

もしも自分が「行為のレベル」で何もできなくなってしまったら、「私なんて能力のないバカだ」「いてもいなくても同じ」ってことになっちゃいます。

パパは可愛い妻と子どもがいるから仕事を頑張れているのかもしれません。
子どもが病気やケガで生死をさまよっている状態なら、親は生きた心地がしないと思います。
妻がケガをして家事ができなくなっても「家事はお前の仕事だろ!何とかしろよ!」なんて言う夫はまずいないと思います。

  • 子どもに「お前がいるから仕事を頑張れるんだよ!ありがとう!」
  • 妻に「いつも家事してくれてありがとう!助かっているよ!」
  • 夫に「いつも家族や生活を守ってくれてありがとう!」
  • 親に「産み育ててくれてありがとう!」
  • 義理の親に「嫁(夫)として迎え入れてくれてありがとう!」

上下の関係でなく「横のつながり」で勇気づけができる魔法の言葉「ありがとう」がありましたね。

物理的に何かしてもらっての「ありがとう」も大事だけど、「あなたがいるから私がいる」って存在自体に感謝できると心がふわぁって温かく感じます。

「行為レベル」「存在レベル」どちらで受け入れるかで、自分にも他者にも関わり方は変わって来るのですね。

 

ユーミ
夫に食べさせてもらっている。夫がいなきゃ生きていけない。って思う「夫依存」の妻が増えています。「自分には能力がない」って思い込んでいる妻が多いのです。

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「嫌われる勇気」その28:あの言葉が口癖の人は調和を乱す張本人だった by ユーミ

【嫌われる勇気】

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