主婦が自己肯定感を高めて返り咲くキッカケ作り。

「嫌われる勇気」その26:主婦なら3つめのキーワードは完全クリアのはず

他者に貢献する

この記事は岸見一郎氏/古賀史健氏の著書「嫌われる勇気」について主婦目線で読み解くものです。

—最初からお読み頂くと内容がよりわかりやすいと思います
>「嫌われる勇気」レポート一覧

前回までの記事で、自己受容すること、他者を信頼することの意味がご理解できたでしょうか?何ごとも、他者がどうであれ「私から始めること」が大切でした。それでは、共同体感覚を得るための最後のキーワードが登場です。

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仲間しかいない

アドラーの教えに基づいて、実際に自分を変えられた人はいらっしゃるでしょうか?
いま実践中の人も、または読んでいるだけで実行に移せていない人も、”想像”だけは誰にでもできるので、ぜひ一緒に考えてみてください。

icon-arrow-circle-right あなたが自己受容をできた状態

恥ずかしい自分、できていない自分、醜い心を持っている自分、イタい自分。そんな本当の姿を「これが私です」って、他者にそのままさらけ出せる状態になれたとします。

ちょうど、コッテコテに盛りまくったメイクをやめて、スッピンの自分を見せる感じです。目を大きく見せるための極太アイライナーも、今さら外せなくなったつけまもカラコンもネイルも。それらを全部やめちゃった状態の私をさらけ出すんです。(そういえば、子どもの頃ってみんなスッピンだったね)

さて次。

icon-arrow-circle-right あなたが他者を無条件で信頼できた状態

夫、子ども、ママ友、両親、職場の上司・先輩・同僚・後輩など、あなたの周りにいる人たちを「もしかしたら裏切られるかもしれないけど」そんなことは一切気にしないで全信頼をおいたとします。もちろん一度に全員じゃなくてもOKですよ。他者ひとりから始めるのでいいのです。

子どもに疑念を抱かず信頼をおくのは比較的簡単かもしれませんね。母の”無償の愛”がそうさせています。
夫に信頼をおいていない人は稀にいます。「しょせんは他人同士だから」って言い切る人もいます。ここでいう「信頼をおく」とは「夫に依存する」のとは全く違いますよ。”食べさせてもらっているから大切に思う”のは条件付きの信用でしかありませんからね。たとえ一文無しで体が不自由だったとしても、一緒に笑って泣けるのが信頼しあった夫婦の姿だと思います。

他者ひとりから始めて、自分の周りの人すべてが「自分の信頼できる」人ばかりになったとします。あ、相手は自分のことをどう思っているかは関係ないですよ。まったく気にしなくて大丈夫です。

icon-arrow-circle-right さぁ、自分にとって周りの他者はどういう人たちでしょうか?

相手に格好つける必要もなし(スッピンを見せています)何をしてもされてもイライラすることなし(無条件で信頼をおいてます)あらー、楽ちんですね。心に引っかかることが一切ありませんね。

そうなれば自分の周りにはもう「仲間」しかいなくなると想像できるでしょうか?そこに「敵」はいませんね。

 

自分とつながる小さな社会(夫婦だったり親子だったりママ友だったり)で、相手を「仲間」だと思えることで「自分はここにいてもいいんだね」という所属感を得ることにもなるのです。

でもこれだけでは、自分から他者への一方通行です。「ひとりよがり」です。自分だけが勝手に「あなたは仲間」「あなたも仲間」と思っているだけではまだ足りません。

そしてもうひとつ。共同体感覚を得るための3つめのキーワード「他者貢献」が必要になってきます。

 

他者貢献とは

「仲間」だと思っている他者のために何かを働きかける、ってことです。貢献するって言っても、責任を代わりにかぶったり命をかけたり、自分を犠牲にすることじゃありません。

哲人がいうわかりやすい他者貢献は「仕事」だといいます。お勤めする仕事もあれば、家事や介護も立派な仕事です。

労働とは、金銭を稼ぐ手段ではありません。われわれは労働によって他者貢献をなし、共同体にコミットし、「わたしは誰かの役に立っている」ことを実感して、ひいては自らの存在価値を受け入れているのです。

私たちは「労働」に対して対価である「お金」のことばかりに注目しがちです。「こんなに大変な思いをしているのに、給料が少ない」とか、「どうせ決まった給料しかもらえないから仕事量も抑える」とか。

仕事をする上で一番大切なのは、お金よりも他者に貢献している実感なのだと哲人はいいます。

他者のために役立っていると実感できることは、「私が役に立っている」「私はここにいてもいいんだ」っていう所属感につながるというのです。

われわれは、自分の存在や行動が共同体にとって有益だと思えたときにだけ、つまりは「わたしは誰かの役に立っている」と思えたときにだけ、自らの価値を実感することができる。
つまり他者貢献とは、「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ、なされるものなのです。

世の中の成功者(自分で財を築きお金持ちになった人)は、一生で使い切れないくらいの富を手に入れてもまだ働き続けたり、慈善活動をする人がとても多いです。お金を稼ぐことに生きがいを感じているのではなくて、他者に貢献できることに喜びを感じて「働くことをやめられない」のだと哲人はいいます。所属感を得るというのは大金を得るよりも嬉しいことなんですね。「所属感がほしい」というのが、人間の本能で欲する願望なんだと理解できます。

どんな仕事に従事していても、自分の利益ばかりに注目しないで、どれだけ他者貢献できているかを考えてみましょう。

主婦はいつも他者貢献している

青年はここまでの「自己受容」や「他者信頼」についてはそれなりに納得しました。だけど、「他者貢献」については疑問が残ります。「自分の価値を実感するために行う他者貢献なんて偽善でしかない」と。”人のために働く”はずが、”自分の価値を実感するためになる”なんてたしかに偽善っぽく感じますね。逆に、献身的な他者への貢献だとすれば「苦痛に満ちた自己犠牲でしかない」とも言っています。どっちに転んでも今までの教えに反するような気がします。

そこで哲人はわかりやすい例を出しました。それが主婦の私たちにとっては日常で起こっている「ごくあたりまえ」の話でした。ここでは私自身に置き換えて説明してみます。

いくら私が家事を頑張っても給料をもらえるわけじゃありません。正直な話、私は家事が得意ではないし、特に好きでもありません。「他にやってくれる人がいないから」仕方なく家事をしています。毎日同じルーティンワークでつまらないし飽きちゃうっていうのが、私にとっての家事仕事です。

いつも私が作った料理を家族は「あたりまえのように」食べます。夫や子どもがいちいち私に「ごはんを作ってくれてありがとう」なんて言いません。食後も「あたりまえのように」私が後片付けをします。感謝されてる実感はないけど、毎日家族のために家事をしているのです。
だけどね、ちょっと思い出してみてください。

私が作った料理を「あ、これ美味しい!」「おかわりちょうだい!」ってモリモリ食べてくれたら、なぜか少し嬉しくなります。「あ、そう?高級な肉を使ったわけじゃないのに?味付けが良かった?」実際は適当な味付けで、もう二度と同じ味は出せなかったとしても、後日また同じ献立を作るときにはちょっと意識しちゃいますよね。
そんな些細なことを繰り返しているうちに「子どもの好きな味」「夫が褒めてくれる料理」が少しずつ増えていきます。毎日料理するのは面倒なんだけど、だけど私が作らなきゃ誰が作るの?私じゃなきゃ夫や子どもの好みを誰が把握してるの?

たぶん無意識のうちに「私は家族にとって必要な存在」「私はここにいてもいいんだ」っていう所属感を得ているのだと思うのです。だから、好きじゃない家事でもやれちゃっているんです。そうやって主婦は、いつもいつも家族に貢献しています。私でも「貢献感」を持つことができているのです。

誰かに「見える」感謝をされなくても、自分が「仲間」だと思っている相手には無意識で貢献できるというわけです。「この人に貢献したって無駄だ」とか、「こんなに貢献しているのに報われない」とか、「貢献」を意識していること自体が、他者貢献以前に「自己受容」や「他者信頼」ができていない証拠なんだと思います。

他者がわたしになにをしてくれるかではなく、わたしが他者になにをできるかを考え、実践していきたいのです。

また同じことを言いますが、他者がどうかは関係なく「あなたから始める」のです。

他者を本当に「仲間」だと思えていない状態(自己受容や他者信頼ができていない状態)で行う貢献は「偽善」になるかもしれないと哲人はいいます。

周りにいる他者が本当に自分の「仲間」なら「私、いま貢献してるわぁ」なんて実感すらしないものなのかもしれません。

 

ユーミ
私、COOKPADがないと料理できないほど得意じゃないのですが、何度作ってもハンバーグだけは褒められるんですっ。毎回味付け加減は違ってると思うんですけどねw

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「嫌われる勇気」その26:主婦なら3つめのキーワードは完全クリアのはず by ユーミ

【嫌われる勇気】

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