主婦が自己肯定感を高めて返り咲くキッカケ作り。

「嫌われる勇気」その24:共同体感覚を得る1つめのキーワード

自己受容とは

この記事は岸見一郎氏/古賀史健氏の著書「嫌われる勇気」について主婦目線で読み解くものです。

—最初からお読み頂くと内容がよりわかりやすいと思います
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今まで長きにわたり読み解いてきた「嫌われる勇気」も最終夜の5日目を迎えます。アドラー心理学の真髄でもある「共同体感覚」の概念や世界観を何となくつかめたところで、これからもっと掘り下げていきます。嫌われる勇気とは?人の幸せとは?最終夜であなたにとっての「答え」が見つかりますように。

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なぜ自意識過剰になるのか

青年は1ヶ月ぶりに哲人の書斎にやってきました。青年なりに「共同体感覚」を考え「答え」を出そうとしました。哲人のいう「共同体感覚」の規模が宇宙やら時間軸にまで飛躍するために、対象が大きすぎて不明瞭なんだと気づきました。そして、最小単位の社会である「わたしとあなた」の対人関係を深く考えてみようと思いつきます。

今までに何度となく書いてきましたが、他者と「課題の分離」をして、自分は自分の思うままに振る舞えばいいというのがアドラーの教えです。他者の評価を気にしないで「本当の自分」をさらけ出す勇気が大切だということです。

その上で哲人は、共同体感覚を得るために「自己への執着」を「他者への関心」に変えていくことが大切だと説明しました。※自己への執着・他者への関心については「嫌われる勇気:その21」に書いています

青年の場合、自分に自信がないために何をやるにも人の目が気になり、自分がどう見られているかに執着してしまいます。言い換えると「自意識過剰」な状態なのです。

「自意識過剰」といえば、自分で自分にホレボレする状態を指すと思いがちですが、逆のパターンもあるのですね。

昔、クセ毛を気に悩む友達がいました。前髪がストンと落ちずにうねるのが嫌だというのです。雨の日は特にくせが強く出て、学校でも1日中クシで前髪を整えていました。
私を含む周りの友達は、彼女の前髪が直毛でもうねっていても誰も気にしていなかったのが正直なところ。それでも彼女は自分のクセ毛が「欠点」であり「直したいけど直らない」とものすごく悩んでいたんです。
彼女は前髪に関して「自意識過剰」でした。

青年もまた、「笑われるかもしれない」「馬鹿にされるかもしれない」と思うから、青年本来の自然な態度が出せないと悩んでいます。

自意識が自分にブレーキをかけ、その一挙手一投足をがんじがらめに縛りつけている。無邪気に振る舞うことを、わたしの自意識が許してくれないのです。

きっと多くの人は、家にいるときと外にいるときでは「話し方」「振る舞い」「気にするところ」が違っていると思います。

家では片付けが苦手でほとんど掃除しない人でも、職場ではあたりまえのように掃除したり。(私のこと)
家ではノーメイクでジャージ姿でも平気なのに、買い物に行くとなればアイラインまでしっかり引いたり。(私のこと)

別人か!ってほど、家の私と外の私は違うところがあります。それはなぜか?

  • 主婦なのに「掃除が苦手」なんて恥ずかしくて言えないから
  • 家事を完璧にこなすママ友に「負けた感」を悟られたくないから
  • ノーメイクの素顔は死んでも他人に見られたくないから(見せられないから)

家でリラックスしている自分が本来の自然な姿なのに、他者の前に出ると仮面をかぶってしまうんですよね。それは自分に自信がないから、ついつい仮面をかぶってしまうんです。

きっとね、私が掃除が苦手でも、ノーメイクで眉毛がなくても、他者はそんなに気にしていないと思います。片付いていないウチに遊びに来たママ友が、内心「うわっ、汚っ」って思っても「片付いていないから帰ります」とは言わないだろうし、眉毛のない私を見て「うわっ、怖っ」って思っても「スッピンはヤバいからメイクしなさい」とは言わないと思います。

分かってるんだけど、イタい自分やヤバい自分は何となく隠したくなる心情は青年と同じです。

ここで「嫌われる勇気」だからこそ、「仮面をとる勇気」とか書かれちゃいそうですが、哲人は何でもかんでも「勇気」で話さずちゃんと原因を気づかせてくれます。

 

ありのままを受け入れること

自分ひとりや親しい家族の前では”自分らしく自然に”振る舞うことができるのに、他者の前に出ると別の人格になっちゃうのは、ちゃんと原因がありますね。アドラー心理学では「原因」ではなく「目的」と言い換えます。

人に「笑われたくない」「馬鹿にされたくない」「軽蔑されたくない」「嫌われたくない」っていう目的があるために、仮面をかぶって本来の自分ではない”他人受けする自分”を作り出しているんですね。

ここで大切なのは「自己受容」だと哲人はいいます。

アドラーの口癖のように出てくる、

「大切なのはなにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである」

という言葉。
人は与えられているもの、気質や環境などを含む「わたし」という存在は捨てることも交換することもできません。大切なのは与えられたものを「どう使うか」ということなんです。

「わたし」に対する見方を変え、いわば使い方を変えていくことです。

ありのままの「わたし」を、捨てず嫌わず受け入れること。それが「自己受容」です。

私の場合だと、「掃除が苦手」「物が捨てられない」「めんどくさがり」「八方美人」「我が強い」などなど、自分の嫌な面もすべて一旦は受け入れるのです。「それが私です」ってね。

そんな中、人間の本能でもある「向上したい」と思う気持ち(優越性の追求※)に嘘をつかないで、「思い切って断捨離してみようか」「部屋の模様替えをしてみようか」「押すばかりじゃなくて、たまには引いてみようか」などなど、改善できるところから直していくんですね。これは私の課題として。※優越性の追求については「嫌われる勇気:その10」に書いています

いいところも悪いところも、一旦は「これが私」だと認めることなんです。そこからいいところは伸ばして、悪いところは直していくように努力すればいいのですね。

それでも人には「変えられるもの」と「変えられないもの」があります。

  • もっと目が大きくてパッチリしてたらいいのに
  • お金持ちの家柄に生まれたかった
  • 小柄な体型が良かった
  • 生粋の日本人じゃなくハーフに生まれたかった

こういう「変えられないもの」ばかりに注目しないこと。交換不能なものは、ありのままを受け入れることが大切なんですね。ここばかりを気にするから、他者の目も気になるんです。あ、他者は自分が思ってるほど気にしてませんよ。

他者の前では、自分のいいところをやたら強調したり悪いところを無理やり隠したりすることで、「自然に振る舞えない」ってことにつながるんですね。

100パーセント完璧な人はいません。私も100パーセント完璧じゃなくてもいいのです。

私たちは「変えられるもの」もたくさん持っています。
まずは「ちょっとだけ変えてみよう」っていう”勇気”が、自分を変える第1歩なんですね。

 

ユーミ
クセ毛を気にしすぎてた友達は、小柄でフワフワした雰囲気で可愛い人だったんですよ。でも自分に自信が持てなくて、いつも誰かの後ろに立っているような人でした。本人は必死でも他者から見ると「もったいない」ことって意外と多いもんです。

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「嫌われる勇気」その24:共同体感覚を得る1つめのキーワード by ユーミ

【嫌われる勇気】

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