主婦が自己肯定感を高めて返り咲くキッカケ作り。

「嫌われる勇気」その21:見てきた世界観が大きく変わること

共同体感覚のイメージ

この記事は岸見一郎氏/古賀史健氏の著書「嫌われる勇気」について主婦目線で読み解くものです。

—最初からお読み頂くと内容がよりわかりやすいと思います
>「嫌われる勇気」レポート一覧

前回までの記事では個人の内面に関することが多く書かれていました。哲人の言葉ひとつひとつも、青年と自分を重ね合わせたり状況を想像することで何となく理解できたと思います。
青年と哲人の対話は4回目を迎え、個人と社会との「つながり」の話へ発展していきます。抽象的な言葉や規模が大きい世界観などが出てくるので、想像力を膨らませながら読んでみてください。

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共同体感覚とは?

私たちは「家庭」「学校」「職場」「地域」「友達グループ」など、世の中のあらゆる集団の中に所属しています。特に主婦は所属する集団の数が多いほうです。(子どもが3人いればそれだけで最低3つのママ友グループが存在しますからね)

人はそんな集団の中で「私ここにいてもいいの?」と疑うことなく、ちゃんと自分の”居場所”があるとわかっていると安心します。人生は”居場所探し”だといっても過言ではないくらい、人はどこかに所属したいという願望があるのです。

他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられることを、共同体感覚といいます。

「共同体感覚」を家庭・学校・職場などの枠組みで考えるとわかりやすいですが、アドラーがいう「共同体感覚」はもっとスケールの大きなものでした。

アドラーは自らの述べる共同体について、家庭や学校、職場、地域社会だけでなく、たとえば国家や人類などを包括したすべてであり、時間軸においては過去から未来までも含まれるし、さらには動植物や無生物までも含まれる、としています。
中略
そして共同地感覚とは、幸福なる対人関係のあり方を考える、もっとも重要な指標なのです。

要は「私個人」というこれ以上分割できない最小単位それ以外の「すべて」を共同体だと言っているのです。

世の中で一番小さな社会単位は「私とあなた」です。この2人で成り立つ社会からはじまり、地域・国・地球・宇宙・生命体・細胞 etcなど、見る方向やとらえ方次第では「すべて」のモノが共同体だということです。

 

そんなありとあらゆる共同体に所属している「私個人」です。
これより、「私個人」が勘違いしまくっている感覚を指摘されます。

 

世界の中心はドコ?

あなたの周りにもいるかもしれない「自己中心的な人」についてちょっと書き出してみます。

  • 横暴な言動
  • 他人の迷惑を考えない
  • 集団行動ができない
  • 約束が守れない
  • 自分のことしか考えない

など自分勝手なことばかりしている人のイメージがあります。

哲人はこれらに加えて、「課題の分離ができておらず承認欲求にとらわれている人」も含まれるといいます。ドキっ。

「他者に認めてもらいたい」と思う承認欲求の根底にはこんな気持ちがあります。

  • 他者がどれだけ自分に注目しているか
  • 自分のことをどんなふうに評価しているか

これって結局のところ「他者はどれだけ自分を満足させてくれるのか」って考えているのと同じなんですね。
「他者に認めてもらいたい」という一心で、他者の「目」を気にして、他者に気を遣い、他者に合わせて生きていても、本当の自分は「自分」にしか関心がないということなんです。

「他者からどう見られているか」ばかりを気にかける生き方こそ、「わたし」にしか関心を持たない自己中心的なライフスタイルなのです。

自分が傷つかないように、「周り」ではなく「自分に」気を遣って生きていることと同じなんですね。このことはご自分で気づいていましたか?

 

平面に描かれた世界地図ではなく地球儀で「日本」を探すのと同じで、”世界の中心”は見方やとらえ方、心の持ちようでコロコロ変わることがわかります。

社会の単位を問わず「自分が世界の中心ではない」ということが大前提になります。哲人は「自己への執着」を「他者への関心」に切り替えなければならないといいます。

ここで青年は「自分の人生の主人公は間違いなく自分なのに。自分に自分でスポットライトを当てることがそんなに悪いことなの?」と疑問に思いました。

「わたし」は人生の主人公でありながら、あくまでも共同体の一員であり、全体の一部なのです。

そうココが大切なんですね。

 

他者に関心をもつこと

「他者と課題の分離をしろ」と言ったり、「他者に関心を持て」と言ったり。ちょっと頭が混乱しそうですが、支離滅裂なことが書かれているわけではないんですよ。整理してみましょう。

「私個人」は自分の人生の主役として、自分の課題に取り組み(他者の課題は切り離し)自分の思うままの人生を歩むことができます。

他者のいない世界は絶対に存在しません。そうなると必然的に「私個人」は最小単位「私とあなた」という社会からはじまって、あらゆるすべての社会に属しています。「私個人」と他者は同じ共同体だといえます。

同じ共同体である他者と、課題の分離をしながらもほど良い距離感を保つためには、「私個人」が自己中心的な思考をやめなければいけません。

自分の人生では主人公だけど、社会においては「世界の中心ではない」と認識することが必要です。
だって「私個人」以外のすべての他者は、自分を満足させるために生きているのではないし、逆に「私個人」も他者を満足させるために生きているのではないからです。

「私個人」が自分のことだけを考えるのをやめるということは、同じ共同体である「他者へ関心を持つ」ことになります。

アドラー心理学では、所属感とはただそこにいるだけで得られるものではなく、共同体として自らが積極的にコミットすることによって得られるのだと考えます。

自己中心的な思考だと「この人は私になにを与えてくれるのか?」と考えるのに対して、「わたしはこの人になにを与えられるか?」を考えることが大切なのです。

自分が他者になにを与えられるか?と積極的にコミットすることは、「人生のタスク」に向きあうことになるのです。※人生のタスクについては過去の記事(「嫌われる勇気」その14)に詳しく書いています

所属感とは、生まれながらに与えられるものではなく、自らの手で獲得していくものなのです。

他者の自分への評価や結果にとらわれることなく、時には嫌われてしまうことがあっても気にしないで、それでも自分から他者へ積極的に働きかけをするということなんですね。

対人関係がすべての悩みの元であるがゆえに、対人関係は人の幸福の元でもあるというわけです。

 

ユーミ
アドラー心理学の代表キーワードでもある「共同体」をどんなふうに受け止めましたか?

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「嫌われる勇気」その21:見てきた世界観が大きく変わること by ユーミ

【嫌われる勇気】

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