主婦が自己肯定感を高めて返り咲くキッカケ作り。

「嫌われる勇気」その2:人生が180度ひっくり返る驚きの結果

100年先取りの思考

この記事は岸見一郎氏/古賀史健氏の著書「嫌われる勇気」について主婦目線で読み解くものです。

—最初からお読み頂くと内容がよりわかりやすいと思います
>はじめに —>その1

青年は哲人の持論を撤回してほしくて訪問しました。会って間もないうちに、早くも哲人のいう「世界はシンプルだ」という持論に反感を覚えます。簡単に論破できる相手ではないからこそ、まずは哲人の持論を聞いて理解した上で「現実はそんなに甘いもんじゃない」ことを諭そうとするのですが・・・。
哲人がいう「サングラスを外して裸眼で世界を見る勇気」の意味が少しずつわかってきます。

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青年の人物像

本書の主役である青年については、所々でその性格や抱える悩みを明らかにしています。

この青年、厳格な両親の元に育ち常に優秀な兄と比較された人生を送ってきました。青年なりに努力しても結果がついて来なくて、両親には今でも認めてもらえていません。自信がなくなり、自尊心を傷つけられ、自分にも人生にも希望を持てなくなっていました。自分の卑屈な性格も、人並み以下の容姿も嫌で、挙句の果てには人の幸せを素直に喜べない性格にまで堕ちてしまいます。
「友達のように明るくみんなから好かれる性格になりたい」とか「親に認めてもらえる人間になりたい」といつも思っているのに、現実は上手く行かず、他人との”差”を思い知らされるばかりで更に卑屈な人間に堕ちていっていると感じています。

だから哲人の掲げる「世界はシンプルだ」とか「人は変われる」とか「誰もが幸せになれる」という持論が、「ただのキレイごとじゃないか」って反発するわけです。「変わりたくても変われない人間の身になってみろ!」と声を大にして叫びたいから、「哲学者」という立場でサラッとキレイごとをいう哲人のことが許せないのです。

私は読み始めた当初、この青年に対して「あぁ、自己啓発本によくある人格設定だな」って思っていました。私自身、キレイごとを鵜呑みにして単純に「そんな考え方もあるのか!」なんて納得できるとは思っていません。このまま軽く哲人に諭されて心変わりする青年の話だったら残念感ハンパないなぁ・・・って思っていました。

だけど、この卑屈な性格の青年が哲人との対話の中で見せる”本心”を読んでいるうちに、だんだんと「私とは違う赤の他人だ」とは思えなくなってきました。
それは、少なからず誰もが心の底に思っている「自分の嫌な面」をこの青年がさらけ出しているからです。「あぁ、そう思う気持ちわかる」「ちょっと違うけど似てる」・・・そんな感覚が増えていって、いつのまにか”青年”ではなく”私VS哲人”になっていました。

誰にでも、人には言えない「醜い心」を持っているものだと思います。普段は他人にバレないように隠しているけど、何かの拍子にフッと顔を出して「性悪な自分」「弱い自分」が見えちゃうことって、きっとあると思うんです。
逆にいうとそれが”人間らしさ”なんだと思います。
生きているから「願望」も「欲望」も「志望」も「羨望」も感じます。他人と比べて見て「違和感」「焦燥感」「嫌悪感」「劣等感」「絶望感」そんな負の気持ちだって生まれてきます。自分にも他人にも全く何も感情を持たない人なんていないと思います。

怖いのは。
自分が本当は「醜い」「性悪な」「弱い」心を持っていると気づいていない人がいるってことです。自分の何気ない一言で、知らず知らずのうちに他人を傷つけていたり、子どもの人格も人生も潰してしまったりするのです。それでも当の本人は「悪いコトしてる」って意識が全くないのです。
誰かに憧れたり目標にして「自分を変えよう」とする前に、まず自分と本気で向き合って”本心”を問わないと、自分を根底から変えることはできないと思います。うわべだけで変わったフリをするからまた自分が傷ついてしまうのです。

そ、れ、な、の、に。

アドラーの提唱する「個人心理学」というのは、醜い心を持っていようが、性悪であろうが、弱かろうが「そのままの自分でいいんだYO!」むしろ「変える必要なんて全くないんだYO!」という思想なんです。更には「そのままの自分でいることが”幸せ”な生き方なんだYO!」と諭しているのです。

な、なんでやねん!!

到底受け入れられない青年の気持ち、ちょっと理解できそうですか?
散々今まで悩んできて「良くなりたい」「幸せになりたい」「頑張りたい」と、もがいてきたこと全て「要らぬ努力をしてきたねー。お疲れさーん。」って言われても、「はぁーっ?そんな簡単に言うな!」「理屈をちゃんと説明せんかい!」って憤りを感じるでしょ?

まさに今も感じてる、このウツウツしたジクジクした晴れない気持ちのことをアドラーは「幸せ」って呼ぶのか?

「アドラー心理学」には、100年先取りしたと言われる独特な思想がありました。先取りしすぎて、この思想を受け入れられる人間が少なくて「なんていう発想なんだ」「バカバカしい」って批判を当時は多く受けてきました。
心理学の巨頭としてフロイトやユングが提唱した”原因論”の方が有名になったのも、多くの人がそこに「安心感」を求めたのも納得できます。原因論を否定するくらい正反対の”目的論”なのがアドラー心理学です。

ぜひ青年を自分自身と重ね合わせて読んでみてください。
読み終わったときには何とも言えない「安堵感」「充足感」に包まれます。

原因論VS目的論

フロイトやユングが”原因論”を提唱したのとは対照的に、アドラーは”目的論”が人の心理の根底にあると提言します。
この相反する2つの思想がどう違うのか、本書ではゆっくりとわかりやすく説明されていました。

哲人がいう「人は変われる」という持論に、すぐ嚙みついた青年は自分の友達の話をはじめます。

友達のAくんは、常識もあるしマジメだしフツーに社会で通用する人間だけど、もう長い間自分の部屋に引きこもっている。Aくんは間違いなく「変わりたい」と感じているし「外に出たい」と思っている。だけど実際に外に出ようとすると、動悸が激しくなって手足が震えてしまう。変わりたくても変われない現実がある。

哲人はそれを聞いて「あなたは何が原因だと思いますか?」と問いかけます。

詳しいことは知らないけど、「両親との関係」か「学校や職場でイジメにあった」か、過去の何かがトラウマになっているのだと思う。もしかしたら甘やかされて育ったのかもしれない。

”結果の前には原因がある”というのは当たり前で、引きこもる原因が友達Aくんの過去にあるのだと主張する青年に対して、哲人は頑なに「過去は関係ない」と言い切ります。

仮に友達Aくんが、幼い頃に両親から虐待を受けて育ち、愛情を知らないまま大人になったとする。他者と交わるのが怖く外に出られなくなってしまった・・・とする。

それは、現在の自分(結果)は過去のできごと(原因)によって決まる・・・ということになる。

そうすると、幼い頃に両親から虐待を受けた子どもはみんな大人になったら”引きこもり”になるはずだ。もちろん実際にはみんなが”引きこもり”になるわけではない。引きこもりになる理由は”両親からの虐待”とは関係ない。過去に起こった出来事で、現在の自分の行動が決定づけられることはない。

哲人は過去に何があったかは関係ないと言い切ります。

過去の原因にばかり目を向け、原因だけで物事を説明しようとすると、話はおのずと「決定論」に行き着きます。すなわち、われわれの現在、そして未来は、すべてが過去の出来事によって決定済みであり、動かしようのないものである、と。

その1」にも出てきたように、過去に何があろうが今現在の自分は「自らが意味づけをほどこした主観的な世界」に生きているのだというのです。
「両親からの虐待」という例では多くの人が非現実的だと思うので(そう信じてる)、もうちょっと子どもを持つ主婦にわかりやすく言うと。

小学校から野球をやっていた男の子がいたとします。
パパは強豪野球部の元エースでプロ選手を目指していた経験があります。息子が野球に興味を持ったことが嬉しくて、朝も晩も一生懸命に教えてくれました。仕事で疲れていても休みの日は1日中息子の野球に付き合ってくれます。体格的にも恵まれてピッチャーとしてのセンスもあり周囲も「逸材だ!」と期待を込めて応援してくれます。もともとマジメな性格だった男の子は、パパや周りの期待に応えようと頑張って練習します。
中学生になっても「野球を続ける」ことは当然で、「他のスポーツ」を選ぶことはもちろん「友達と遊ぶ」「おしゃれに目覚める」ということも選択肢にはありません。いや、他に興味があっても振り切って「野球」を選ぶことが「正解」だと信じていたのです。ただ夢中で野球を追いかけます。高校受験も「強豪野球部」のある学校しか考えていません。男の子にとってすでに人生=野球になっています。
そんな野球一色で頑張ってきた男の子が高校1年生のときに不幸が起こります。練習中にピッチャーとしては致命傷の怪我を負ってしまいます。治療とリハビリで休養中に、レギュラーの座は簡単にチームメイトに奪われてしまいます。男の子は焦ります。早く復帰しなければ!と焦ります。
ようやく怪我が治って練習を再開しますが、前ほど球のスピードが上がりません。コントロールも定まりません。体力が落ちているからだと思い筋トレに励みます。パパもそんな息子を「頑張れ!踏ん張れ!」と心の中で応援し続けます。
それでも現実の厳しさは容赦なく男の子を潰しにかかります。男の子は怪我が治ってもレギュラーに返り咲くことなく引退の時を迎えます。野球で自分を見せられなかったため、大学への学校推薦も受けられません。
6歳から11年間がむしゃらに頑張ってきた野球に自ら幕を下ろした男の子は、自信や気力を失い大学には進学せず、社会に出て働くこともせず家に引きこもるようになります。
幼い頃から優しい性格だった男の子は”大好きな両親の期待を裏切ってしまった”ことへの罪悪感から”何もできない自分”とレッテルを貼って心を閉ざしてしまいます。

この男の子が過去の経験(原因)から心を閉ざしてしまったことは、当たり前の結果だったのでしょうか?男の子にも両親にも周囲の人間にも変えることができない”決定論”だったのでしょうか?

怪我のせいで野球を続けられなくなって自信をなくしちゃったんだよ。
男の子が悪いわけじゃないんだよ。運が悪かったんだよ。
あんなに頑張ってきたからね。きっと傷も深いんだろうね。
だから心を閉ざしちゃっても仕方ないんだよ。
親としても辛いけど、男の子が元気を取り戻すまで見守っていてあげようね。

こんな風に考えるのがフロイトやユングの提唱する「原因論」といわれる思想です。何か原因があるから結果があると捉えるのです。結果がダメでも「この結果は過去のココがダメだったんだよ」「不可抗力だったんだよ」「仕方なかったんだよ」って優しく慰めてくれる思想です。

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果たして。
野球を怪我で断念した全ての人が、男の子のように自信や気力を失い引きこもり生活になるのでしょうか?引きこもりにならない子がいるならそれは「その子の受けた傷が軽かったから」なのでしょうか?

答えはどちらもNOです。

男の子が怪我をした事実は変わりません。過去の出来事は変えようがありません。
小学校から高校まで野球一筋で両親ともに頑張ってきた歴史も変わりません。

怪我をして野球を断念しなければいけなくなったとき、「男の子がどう受け止めるか」「現実をどう意味づけるか」によって結果が分かれる・・・というのがアドラー心理学の「目的論」という思想です。

  • こんなに頑張ってきたのに報われなかった挫折感
  • 両親の期待に応えられなかった情けない自分
  • 怪我をした自分は運が悪く、レギュラーを勝ち取ったチームメイトは運が良かった
  • 野球以外に何も興味を持ってこなかった後悔
  • 自分の夢を押し付けた両親へ募る恨み心

こんな風に自分で意味づけたら、他人を拒絶して引きこもり生活になってしまうのも納得です。「とにかく1人にしてくれ。僕に触らないでくれ」って。
でもね。

  • 他のことに浮気しないで11年間もよく頑張ってきたなぁ
  • 両親にはずっと支えてくれた感謝しかないなぁ
  • まだまだ走れるから陸上でもやってみるか
  • いっそのこと勉強で頑張ってみるか
  • 何より、野球をやってきて知った思いや経験はいつでも糧になるんだ
  • やっぱり野球が好きだ、このまま諦めるのは嫌だ!

こんな風に意味づけすると、それ以降の人生は全く違ってくることがわかります。
目的論は変えることができない現実から「じゃあどうするか」「これをどう捉えるか」で結果も変わってくるということなんですね。

だけど、いつもどんなときでも「ポジティブに考える」っていうのは理想論でしかありません。いつも明るく前向きにいられる人を羨ましく思うのも、これまた人間の性です。自分の心の奥底にある「醜い」「性悪な」「弱い」自分が顔を出しちゃうと結果は悪い方に傾いてしまう。どうしても過去のトラウマのせいにしてしまう。やっぱりこの「醜い」「性悪な」「弱い」自分を何とかしなきゃいけないのか?結局はそこなのか?

トラウマを否定するアドラー心理学。まだまだ深いんです。こんな中途半端で終わりません。
ゆっくり、ゆっくり行きましょう。

ユーミ
野球少年の話。私情を思いっきり挟んでますwいつか男の子に思いが届くといいなぁ。

 

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「嫌われる勇気」その2:人生が180度ひっくり返る驚きの結果 by ユーミ

【嫌われる勇気】

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