主婦が自己肯定感を高めて返り咲くキッカケ作り。

「嫌われる勇気」その17:私は課題の分離で対人関係が楽になりました

他人の人生を支配しないこと

この記事は岸見一郎氏/古賀史健氏の著書「嫌われる勇気」について主婦目線で読み解くものです。

—最初からお読み頂くと内容がよりわかりやすいと思います
>「嫌われる勇気」レポート一覧

前回の記事で哲人が「勇気を出す具体策」として、まずは承認欲求を否定しました。「他者に認めてもらいたい」という気持ちでいると対人関係はうまくいきません。だって他者はあなたの期待通りに生きているのではないから。逆に自分も他者の期待通りに生きてはいないのです。自分は自分。他者は他者。このスタンスが大事でした。
今回はもっと「勇気を出す具体策」が見えてきます。

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「あなたのために」は誰のため?

哲人は「自分は自分。他者は他者。」という真理をもっと掘り下げて話してくれました。

およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと・・・あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること・・・によって引き起こされます。

「課題に土足で踏み込む」ってどういうことでしょう?

子育て中の主婦に分かりやすく説明するとこんな感じでしょうか。
子どもが勉強嫌いで毎日遊び呆けていると、”成績第一”の学校という枠の中では落ちこぼれてしまう可能性が出てきますよね。他に秀でた特技があるなら別ですが、ほとんどの場合は子どもに「勉強しなさい」っていうと思います。

私自身は子どもに対してあまり「勉強しなさい」って言わなかった方だと自負していますが、長男が高校受験のときには「この学校が良いんじゃない?」「その学校はちょっと厳しくない?」って散々口出しをしました。長男が受験そのものに興味なく「入れる高校ならどこでもいい」なんて言い出すものだから、私の方がいろんな高校を調べまくっていたのです。高校を受験するのも通うのも長男なのにね。

  • 勉強はできないよりできた方がいい
  • 成績も偏差値も少しでも上がった方がいい
  • 大学の推薦が受けられる高校がいい
  • 今までやってきたスポーツをさらに伸ばせる高校がいい

「子どもの将来は自分で決める方がいい」って頭でわかっていながらも、進路のことになると口出してしまうことなかったですか?または日ごろから「勉強しなさい」って口うるさく言っていませんか?

子どもでは見えていないだろう社会の厳しさや、今からなら間に合うかもしれない将来の夢を叶えるために、一生懸命に気づかせようとする親は多いと思います。子どもには”良い人生”を送ってほしいと思うのが親心ですからね。

だけど哲人は「いま勉強するかしないかは子どもの課題だ」というのです。親であろうが口を出してはいけないというのです。子どもの課題に土足で踏み込んではいけないということです。

決して子育てを放棄したり、放任主義で子どもが何をやっていようが関係ない!と無責任になるのではなく、勉強をしてもしなくても、そばで「見守る」というのが親の役目なんですね。

子どもを黙って見守る・・・かなり忍耐力が必要になりそうです(笑)

前回の記事にもあったように、子どもは親の期待を満たすために生きているのではないのです。子どもは子ども。親は親。親の責任感を盾にして子どもを無理強いすることは、親の期待通りの人生を送らせようと強要することになりかねないのですね。

ケンカのもと

他者の課題に土足で踏み込んでいる相手は子どもだけじゃありません。

  • 夫の性格
  • 夫の仕事
  • 親の老後
  • 学校の方針
  • 会社の方針
  • 他者のマナー
  • 異文化

本来自分には関係のない「他者の課題」に、知らないうちに踏み込んでいないでしょうか?
自分としては「責任感」「正義感」だったりするので悪いことをしているつもりはないけど、他者のことに干渉しすぎるとトラブルの元になります。

ある国に「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませることはできない」ということわざがあります。

結構有名なことわざですね。
自分では善意であっても、他者の人生をどうにかしようとするのは良くないってことです。他者が助けてほしいときに、すぐ手を差し出せる準備だけしておけばいいんですね。

逆に考えたらもっと理解できますね。

自分のやろうとしていることに他者が横から口を出してきて(本人は善意)、せっかく高まっていたモチベーションが削がれてしまった経験ありませんか?

子育てのことでちょっとママ友に相談したがために、その後の経過をしつこく聞かれたり「息子さんはちょっとね・・・」「ご主人がダメだね・・・」「こうしなきゃダメよ」「あれは絶対やめた方がいい」などなど、必要以上に口うるさく踏み込まれると正直うっとうしくなりますよね。

課題の分離とは、他者の課題に深入りしない・執着しないってことになります。

子ども相手なら「これはあなたの課題だから自分で何とかしなさい」って自分の心から切り離すんです。親が何とかしてあげる問題ではないのです。だけど「困ったらいつでも助けるからね」って伝えることを忘れずに。
子どもが小さい頃から課題の分離ができていると、きっと「自分のことは自分で」が抵抗なくできる子に成長しそうです。子育ては親育て・・・親の忍耐力もつきそうですね。

他者(家族・血縁者含む)の課題を切り離して考えるってことは理解できたでしょうか?
夫婦や家族のような密接な関係であればあるほど、ちゃんと線引きをしなければいけないそうです。よくよく知ってる相手であっても、あなたの期待を満たすために生きているのではないのです。

信じることも課題の分離

青年は「課題の分離」について、あまりにも冷酷すぎると反発しました。「あなたの問題だから私には関係ない」って突き放すようなイメージを持ったのでしょう。そんな対人関係を続けていると「誰も信じられなくなる」と危惧します。

哲人は信じるという行為も課題の分離だと説明しました。ここ、結構なポイントです。

相手のことを信じること。これはあなたの課題です。しかし、あなたの期待や信頼に対して相手がどう動くかは、他者の課題なのです。

なるほど。
自分が誰かを「大好きですよ」「頼りにしていますよ」「信じてますよ」という期待を込めてオーラを放っても、相手が自分に対して同じような感情を返してくれるとは限りません。こんなこと日常茶飯事です。

自分がその誰かを好きになるか信じるかは「自分の課題」=「自分で決めること」
相手だって自分のことを好きになるか信じるかは「相手の課題」=「相手が決めること」

期待を裏切るような結果を出されたとしても、そこは自分にはどうすることもできない(介入できない)他者の課題だということです。自分の期待通りの結果を出してくれるまで他者を責め立てることに執着すると、なれ果てはストーカーなどの犯罪行為になっちゃいます。他者の心は自分の思い通りに動かせないんです。

それなら、こう考えたらどうでしょう?

相手がどんな結果を返してくれるかなんて、初めから心配しなきゃいいんです。そこが問題じゃないんです。「自分はどうしたいか」の方が大事なんです。

「相手に嫌われるならやめておこう」っていう結果ありきの考え方ではなくて、「自分がしたいから」責任と誠意を持って行動ができるのです。たとえ相手が無反応でも「私がしたかったから」って納得もできるはず。

ここのあたり、次回もう少し詳しく出てきます。

ユーミ
長男の受験を教訓にして、次男の受験時には少し大らかな親でいられたと自負しています。「自分で行きたい高校を決めればいい」と突き放したら、次男なりに頭を悩ませていました。これがきっと大事なんだと思います。

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「嫌われる勇気」その17:私は課題の分離で対人関係が楽になりました by ユーミ

【嫌われる勇気】

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