主婦が自己肯定感を高めて返り咲くキッカケ作り。

「嫌われる勇気」その15:人生が好転しない人の嘘を暴きます

人生はすべて自分の責任

この記事は岸見一郎氏/古賀史健氏の著書「嫌われる勇気」について主婦目線で読み解くものです。

—最初からお読み頂くと内容がよりわかりやすいと思います
>「嫌われる勇気」レポート一覧

前回の記事で、対人関係に悩む人がしなければいけないは「人生のタスク」と正面から向き合うことだと知りました。人生のタスクに向き合って乗り越えることは、アドラーがいう「行動面と心理面の目標」を達成するために必要でしたね。対人関係で自分が傷つくのを怖がって人生のタスクを後回しにして逃げているとどうなるのでしょうか?

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人生の嘘

青年は対人関係で悩んでいます。自分が傷つくのを怖れて対人関係から逃げてきたことまでは認めました。でもそれが「人生のタスク」から逃げてきたと言われると腑に堕ちません。ここが「人生のタスク」だという瞬間も「タスクを回避したい」と思った瞬間も思い当たらないからです。

青年は哲人に聞きました。

わたしが他者を「敵」だと見なし「仲間」だと思えないのは、人生のタスクから逃げているからだと言った。あれは結局どういう意味なのか?

哲人は分かりやすく恋愛関係にある2人を例に出して説明しています。

最初は仲が良かった恋人や夫婦も、ある時期を境に相手のやることなすことが不快に感じるようになることがある。食事の仕方、だらしない姿など、つい最近までは気にしなかった相手の言動に「耐えられない」と思うようになる。

これは本人が「この関係を終わらせたい」と決心をして、関係を終わらせるための材料(理由)を探し回っているためだ。相手はなにも変わっていない。自分の目的が「一緒にいたい関係」から「耐えられないから終わらせたい関係」と変わっただけ。

人は相手の欠点や短所などいくらでも見つけることができる。その人とどういう関係でいたいと思っているか、自分の決心ひとつで「敵」にも「仲間」にも変えることができる。だからこそ簡単に、世界は危険なところにもなり得るし、自分の周りを「敵」だらけにすることもできる。

青年が長年悩んできた両親との関係も、青年自身が「関係を持ちたくない」と思っているから、「幼い頃から厳しく兄と比較して自分のことを認めないひどい親だ」と決めつけてきたということです。親子関係は前回の記事「その14」にも出てきた「愛のタスク」でもあるように、ちゃんと向かい合わないといけないことです。

青年はタスク(課題)から目をそらすために、ちゃんと向き合うのが怖いから逃げるために、いつまでも「自分は親から嫌われているんだ。かわいそうな子どもなんだ。」と言い訳をしてきたわけです。そうやって言い訳することで、周りの人には同情してもらえるかもしれないし、両親と対峙しなくても済みますからね。

アドラーは、さまざまな口実を設けて人生のタスクを回避しようとする事態を指して、「人生の嘘」と呼びました。

青年はまさに「人生の嘘」をついてきたわけです。自分にも、周りの人にも。

厳しい言葉でしょう。いま自分が置かれている状況、その責任を誰かに転嫁する。他者のせいにしたり、環境のせいにしたりすることで、人生のタスクから逃げている。
中略
自分に嘘をつき、また周囲の人々にも嘘をついている。突き詰めて考えると、かなり厳しい言葉です。

青年は黙っていません、もちろん噛みつきました。
「わたしがどんな人生を送ってきたか、どんな風に傷ついてきたか、先生は何も知らないでしょう?それなのに、なぜ嘘をついているってわかるんですか!」って。

哲人は「ええ、何も知りません」とひょうひょうと言います。「何も知らないけど、ひとつだけ知っています」と言いました。

あなたのライフスタイル(人生のあり方)を決めたのは、他の誰でもないあなた自身である、という事実を。

フロイト的な”原因論”でいうなら、ライフスタイルは他者や環境によって決定されるものだから、責任を誰かに押し付けることもできます。青年は「厳しくて偏愛主義の両親に生まれたから、青年の人生は台無しになった・・・それは両親のせいだ」って。

だけど、アドラーのいう”目的論”では、ライフスタイルを選んだのは自分自身です。今までに「自分にとっての善を選択して」ライフスタイルを作ってきたのです。厳しい両親に育てられたことを「どう解釈したか」で、人生に意味づけをしてきたのも自分自身です。その結果「上手くいかない人生だ」というのは、他でもない自分自身の責任だということですね。

青年は怒りちらします。

わたしを糾弾されるおつもりですね!人を嘘つき呼ばわりして、卑怯者呼ばわりして!みんなわたしの責任だと!

もしも同じことを哲人に言われたら、私だったら泣いちゃうだろうなぁ。この人もまた「私を否定するんだ」って。悲しくなると思います。

でも哲人は静かに言います。

怒りの力で目を逸らしてはいけません。ここは非常に重要なポイントです。

人から「イタいところ」を突かれて怒り狂う人いますよね。自分でも分かっている「自分の悪いとこ」を他人に突かれるほど屈辱的なものはないですからね。怒りという道具に頼って人とのコミュニケーションを逸らしてしまうと、自分にとって大切な何かを見逃して「自分の悪いとこ」を直す解決ヒントがわからないままになってしまいます。
前回までの内容にもあったように、どんな相手でも、どんなシチュエーションでも、自分を自分でごまかしてはいけないのですね。

哲人は、人生のタスクを回避して人生の嘘にすがってきたとしてもそれは道徳的な「悪」ではない、といいます。

大切なのは、それを知ってこれからどう変えていくか「勇気」の問題なのです。

ユーミ
やっぱり必要なのは「勇気」なのですね。「これから」の可能性を残してくれる目的論はありがたいです。

 

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「嫌われる勇気」その15:人生が好転しない人の嘘を暴きます by ユーミ

【嫌われる勇気】

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