主婦が自己肯定感を高めて返り咲くキッカケ作り。

「嫌われる勇気」その13:対人関係がウソのように好転する考え方

自ら武器を捨てましょう

この記事は岸見一郎氏/古賀史健氏の著書「嫌われる勇気」について主婦目線で読み解くものです。

—最初からお読み頂くと内容がよりわかりやすいと思います
>「嫌われる勇気」レポート一覧

前回の記事では、対人関係の軸に「競争意識」があると常に相手の存在に怯えることになり、対人関係の悩みから解放されないと知りました。必要なのは「人より上にいく」ことよりも「自分が前に一歩進む」ことでした。それでも対人関係にはスパッと割り切れないことが多いものです。「競争心」を持たないで対人関係を作れるコツを学びましょう。

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権力争いと復讐

他人と意見が違うことで言い争いになることがあります。

  • 子どものしつけや教育方針のことで夫と話し合うとき
  • 子どもの態度について先生と話すとき
  • 子どもに叱るとき
  • 要は、意見の食い違う者同士が話し合うときすべて

私たちは「妻として」「母として」「個人として」生きてきた中で培われた「自分が正しいと思うこと」を心の中に持っています。それが他人とは違っていたときに、一生懸命に自分の正しさを主張しようとします。内容がどうであっても自分が正しいと思っていることが「正解」だと考えています。相手が親しい人や子どもなど立場的に弱い人なら、尚さら言葉も強くキツくなって自分の正しさを押し付けようとします。

自分と他人は「(見た目も経歴も生きざまも)違うけど対等」な関係であるはずなのに、意見の食い違いになると「どちらが正しいか」を言い争うことが多いのです。哲人はこのことを「権力争い」と表現しています。

言い争いで「勝つことによって自分の力を証明したい」と思っているんです。

たとえば、夫と妻が子どもの進学について話し合ったとします。

夫は塾に行かせてでも高いレベルの学校へ進学させたいと思っています。反対に妻は学力よりも好きなスポーツを伸ばせる学校へ進学させたいと思っています。どれだけ話し合っても平行線でどちらも折れようとしません。

すると夫が「おまえは社会に出てからの男の苦労がわかっていない。結局は世の中学歴主義なんだ。俺は子どもが社会に出たときに胸を張れる自信を持たせてやりたいと思ってる。」といいました。
妻も負けずに「あの子が今までどれだけサッカーを頑張ってきたと思ってるの?子どものやることに興味なかったあなたに何がわかるの?高学歴だけでいい人生を送れる保障はないでしょう!」と反発します。
夫は「ふん、母親がそんな甘いこと言ってるから子どもがまともに育たないんだ。」って捨て台詞をはきました。
妻は頭にきて「あなたこそ子どもの気持ちを考えない、父親失格でしょう!」と叫びました。

内容こそ違っても、「自分は正しい」と思っていることで他人と食い違うこと多いですよね。特に母は我が子のことに関しては「絶対的自負」があるので、VS夫でも、VS先生でも、VSママ友でも譲りたくないと思うことが多いです。子どもに関係なくても、仕事や友達や親子関係でも、いろんな場面で「どっちが正しいかバトル」はよくあります。

そして残念なことに「自分は正しい」と思っていることが相手に受け入れられないとき、相手の人格のことまでも罵倒しがちです。「そんなんだから〇〇なんだ」「あんたの全てがムカつく」「顔も見たくない」・・・経験ありませんか?

こんなふうに対人関係がこじれてしまうのは、どちらも「自分は正しい」と思っている意見で相手を屈服させたいと思っているからです。「勝つことによって自分の力を証明したい」と思っているんです。

この権力争いが大きくなって長引くと、対人関係は本人だけでは修復不可能にまでこじれてしまいます。
子どもの進路で話し合う夫婦の例で説明すると。

夫婦の話し合いでは結論が出せないまま、結局は夫の思惑通りに高いレベルの学校へ受験することになりました。子どもは大好きなサッカーを辞めて塾に通い勉強をはじめましたが、好きなことを抑制された状態で勉強しても頭には入らず成績はあがりません。
夫は「情けない子どもに育ったものだ・・・。これもおまえが甘やかしたせいだ!」と妻を罵倒します。
妻はとうとう堪忍袋の緒が切れて、子どもと2人で家を出ることにしました。復讐に出たのです。

内容は大げさだとしても、こんなふうに権力争いで「勝った」人間は相手の「復讐心」を燃え上がらせることになるのです。権力争いに負けた方は「自分が正しいのに!」という思いが募って爆発します。これは反抗期の子どもにも同じことが言えます。
やっぱり対人関係に「勝ち負け」があると上手くいかないんですね。

事の発端はとても些細なことだったのに、相手に「負けたくない」気持ちが大きくてどうしても引けなくて気づけば「顔を合わせるのも嫌なくらい苦手な存在」になってしまった人・・・あなたのまわりにいませんか?

じゃあ言い争いになったらどう対処すればいいんでしょうか?

権力争いを挑まれたときには、ぜったいに乗ってはならないのです。

「意見交換」の域を超えて「どっちが正しいかバトル」になりそうになったら、「その場を降りる」のが一番の得策なんだって。

あなたにできますか?

言い争いが激化して自分も相手も熱くなって頭に血がのぼっているときに「わたし降ります」って言えますか?私は無理だなぁきっと。挑発には乗っちゃう自信ありです・・・

青年も私と同じ意見でした。

挑発に乗らないことなど、そう簡単にできますか?そもそも、どうやって怒りをコントロールしろとおっしゃるのですか?

哲人は「怒りをコントロールする」って考えることが、「相手に何を言われても我慢する」ととらえている証拠だといいます。「我慢する」っていう感情は相手のことをすでに「権力争いの対象」として見ているということなんです。

そうではなく、怒りという感情を使わないで済む方法を学びましょう。怒りとは、しょせん目的をかなえるための手段であり、道具なのですから。

青年は「相手があきらかに誤解して一方的に侮辱的な言葉を投げてきても怒っちゃだめなの?」って聞きました。
哲人は「怒ってはいけない」ではなく「怒りという道具に頼らなくてもいい」と考えるのだといいました。

怒りっぽい人は、気が短いのではなく、怒り以外の有用なコミュニケーションツールがあることを知らないのです。だからこそ、「ついカッとなって」などといった言葉が出てきてしまう。怒りを頼りにコミュニケーションしてしまう。

あぁ、たしかに。
まだ小さな子どもが泣き叫んでかんしゃくを起こすことで意思表示するのもコレですよね。小さな子どもは語彙も少ないし自分の気持ちを上手く表現できないから「泣き落とし」「かんしゃく」で伝えようとするんですよね。
思春期の子どもだって同じです。体も心も大人に近づいているけど、まだまだ言葉が足りないし経験も少ないから自分の気持ちを上手く表現できないんですよね。

まぁ、中には大人になっても、汚い言葉を使って大きな声で相手を威嚇するような話し方しかできない人もいますけど。あーゆう人も、怒り以外のコミュニケーションできる方法を知らないんですね。正直、まわりは迷惑ですけど。

言葉の力ってすごい

人は、怒りというコミュニケーションツールに頼らなくても意見交換をすることができます。自分の意見を言葉だけで説明することができるはずだからです。つたない足りない言葉でも一生懸命つむぐことで表現することができるんですね。

そして哲人はもうひとつ、対人関係を好転させるコツを教えてくれました。

いくら自分が正しいと思えた場合であっても、それを理由に相手を非難しないようにしましょう。
中略
人は、対人関係のなかで「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れているのです。

ここは多くの人が陥るワナなんだそうです。

「自分は正しい」と思う意見を言い換えると、「反対意見をいうこの人が間違っている」ということになるんですね。相手が間違っていると思うから「私が勝たなきゃいけない」と思ってしまうのです。ほら、もう勝ち負けにとらわれています。

人の主張に「勝ち負け」はないのだと哲人はいいます。どんな意見であっても、その人にとっては「正しい」でいいのですね。

あなたが正しいと思うのなら、他の人がどんな意見であれ、そこで完結するべき話です。

「りんごは美味しいから好きだ」という人に、「りんごほど不味いものはない、あなたは間違っている!」と説き伏せなくてもいいってことです。りんごを「美味しいと思う人」「不味いと思う人」「どっちでもないと思う人」それぞれいろんな意見があっていいのです。それが「人はみんな違うけど対等」てことなんですね。

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それは、りんご論争でどちらかが論破しても、論破された人は「負けた」のではないってことです。

誤りを認めること、謝罪の言葉を述べること、権力争いから降りること、これらはいずれも「負け」ではありません。

 

ユーミ
子どもに対して、怒りを使わずにコミュニケーションを取るって難しい感じがします。だけど、いつもあえて怒って疲れてるのは私の方です。穏やかな会話ができるようになりたいです。

「嫌われる勇気」その13:対人関係がウソのように好転する考え方 by ユーミ

【嫌われる勇気】

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